一般人の私が、解明してきたところによると。

日本て、人生はじまったときから、周り基準での生活になるじゃないですか。わりと。
今はどうかわからないよ、そういう昭和的な考えも薄くなってきてるとこもあるし、子供の自己肯定感が大事だとか知れ渡ってきてるから、最近の人たちは自分基準になってきてるのかもしれないけど。
私が生まれた昭和時代は、まだまだわりかし「周り基準」がスタンダードな感じだった。
家庭では、親の都合
学校では、先生やクラスのみんなの都合
職場では、上司や同僚、会社の都合
社会でも、周りのミナサマの都合
周りがどうかで、自分の言動が決まってくる。周りが、正解を持っている。人生は、その正解を当てに行くゲーム。
こういう環境に長くいたら、自分はどうかなんて考えることがない。周りが求める(求めているであろう)ことをやって、周りからいい反響をもらうことで、「これが正解なんだな」と安心して、なんとなく過ごしていくことになる。
他者評価が主軸になる。そりゃそうだ。
自分が思ったことでなく、周りが求めているであろうことをしているだけなので、なにかあったら、周りのせいになる。
他責型になる。そりゃそうだ。
それで突然、「自分のやりたいことはなにか?」なんて考え始めたって、思いつくわけがない。だって、今まで、「自分はどうか」なんてやってきてないんだから。
これは、フェーズ2のカウンセリングで習った、Personal Boundary(心的境界線)という考えかたを習ってわかったことだった。
周りの意識が自分の中に入ってきてしまっていて、自分がわからなくなっている。たとえば、親の意識が入ってしまってきていて、自分がしたいことなのか、親が望んでいることなのか、わからなくなってしまっている状態とか。共依存、といったとこだろうか。
子供は、親に好かれたい。人間の本能。親に好かれることでしか、子供は生きのびることができない。親の意識を取り込んでしまうのは、しかたがない。
親は、子供にそんな影響を与えてしまっているとは知るよしもない。一生懸命子育てをして、子供が生きのびてくれることだけを考えているから。
このくっついた関係がはがれていくのが、反抗期と言われる年齢。幼児期と、思春期と。
でもこのスタイルが終わりにくいのが、日本の社会だなと思う。学校に行っても、仕事に就いても、社会に出ても、境界線がないままに進んでしまいやすい構造になっている。気がする。自分はどうかを考える機会が、ものすごく少ない。気がする。
周りが持ってる正解をすばやく正確に当てられる人が、よしとされてもてはやされる。日本のテレビを見てても、自分の意見を言う人でなく、空気を読んで「この場でどうすべきか」を当てられる人が、長く生き残っていく。

では、自分の正解はだれがやってくれるのか。
周りのことを考えられるのは、すばらしいことだけど、そればかりしてきてると苦しくなってしまう。なぜって、自分のことを考えてくれる人がいつもいるとは限らないから。自分の正解を、いつも周りがやってくれるとは限らないから。
相手の都合を考えてしまって、自分基準で過ごすことができない
相手のことを考えてしまって、自分の言いたいことが言えない
相手がどう思うかが気になってしまって、自分がしたいことができない
よもや、自分がなにをやりたいかなんて、わかるよしもない。
さて、どうするか。
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