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言いたいことが言えなかった時代

この記事でも書いたけど、他にもあったなと思って、書いてみる。これはもう、他人軸を極めた話。

昔の私の他人軸的生き方はすさまじくて、たとえば、自分から話題を始めることができなかった。すごいっしょ?

元夫と暮らしてたとき、彼が「聞く」体勢ができていないと、話をすることができなかった。数日前に話し合ったことについて、思いついたことを言いたくても、ふたたびその話題にならないと話せなかった。元夫がそんなこと忘れてたのしそうに帰宅してくると、できない。偶然その話になるのを待ったり、そうなるように話をふるんだけど、元夫には気づいてもらえない。それで話せないことがたまっていって爆発していた。

その上で、2人とも子供のころに親に十分話を聞いてもらえる環境になくて、精神的に無視された状態で育ってるから、Being visible(自分を見てほしい、聞いてほしい、存在を承認されたい)という欲求がひどかった。これは負けず嫌いにもつながっていくんだけど。

その後にいろいろわかった話、私も彼も親自身が不安定でこの欲求が満たされてない状態だったので、親たちは子供の欲求を満たしてあげる状態になかった。そういう環境で育ったので、我々もまた我々の親と同じく、見てほしい欲求を引きずったまま、体と頭だけ大人になっていた。アダルトチルドレン。

ただ一つ、私と彼に違いがあった。それは、「相手の話を聞く」訓練をされてきてるかどうか。私は他人軸の家庭と学校と社会にいたから、どれだけ見てほしい欲求があっても相手の話を優先して聞くことが身につき過ぎてしまっていた。やだやだ。

たとえばこの2人が会話すると、

「今日、お昼ビビンバ食べに行ったんだ」
『俺は、会社でピザが出たんだ、それがね―』

という風になる。韓国料理なんて珍しいから話したかったのに、一瞬で彼の話になる。そして、私はそれを全部聞く。タダでお昼出たなんていいね、と。言っておくけど、相手の話を聞くのも私はたのしい。ただ、聞いたあとにビビンバの話をしよう思うと、次の話題になる。私の話は、一生できない。彼は、他人の話に興味がない。自分だけの世界にいた。

最初はこういうの、私の英語力の問題だと思ってた。私の英語がつたないから、彼にとっておもしろい話ができない。でも私は頑張って英語を話しているんだから、そこをちゃんと思いやって聞いてほしい、わかろうとしてくれてもいいじゃない、みたいな。

国際結婚の問題って、けっこうこういうとこあると思う。本当は別に原因があるんだけど、「文化の違い」というワードで隠されてしまう。日本人同士の結婚でも、「性格の不一致」みたいに片づけられてしまうことあるけど。

問題を特定しておかないと、別れても、他の人間関係でも、同じ問題を繰り返していくことになる。私の場合は、こういう取り組みをして、本質的な原因を見極めたうえで、改善に取り組んだ。

分かれ道

フェーズ2が終わるころには、私はだいぶ成長して、

「今日、お昼ビビンバ食べに行ったんだ」
『俺は、会社でピザが出たんだ』
「ちょっとまって、今私のお昼の話してるんだけど」

と言えるようになっていた。なんでいつも自分の話を始めちゃうの?と聞くと、「お昼の話題だから、合ってるじゃん」と苦し紛れの正当化。今は私が私のお昼について話してるとこだから聞いて、と言って私の話をすれども、彼は興味なし。話を早く終わろうとする。なんに関してもずっとこんな調子だから、けっきょく一緒にいられなくなったんだけども。

私のほうは、自分のニーズを適切に口にすることができるようになって、一気に人生が進んだ。

自己肯定感を育てて、自分と相手を対等だと思えるようになること。これで、健康的な人間関係が築けるようになっていった。その結果、パワハラ環境や、自分の話ばかりする人、マウントをとってくる友人など、以前の方法で生きていた私を求め続ける人たちとは離れることになったけど。私のほうは、健康的な人間関係で生きている人たちの世界に入ることができて、人生が飛躍的に快調になった。

でもこれはけして、私のほうが頑張ったとか、彼が怠け者だったという話じゃなくて、私は自分のために頑張る精神状態になれた環境だっただけで、彼はそうじゃなかったというだけ。どっちの生育環境の方がひどかったか、ということでもない。まあ、聞いてるだけでも彼の子供時代はかなり過酷だったけども。

昔はね、こんな風に思えなかった。「2人でやってくために私はこんなに努力できるのに、彼は頑張って私と一緒にいようと思わないのか」、と思って絶望したこともある。私には家族もいなくてここしかないのに、彼は「昔を思い出すから嫌だ」と言いつつもなにかあったら家族に頼れるんだな、とやさぐれてたこともある。

自力でどうにかしたという人、もちろんその人の頑張りもある。でも、「どうにかしたい」と思う精神状態、「どうにかしたい」と努力できる精神状態にいくには、それだけの環境や条件が整ってて成り立つものでもあると思う。自分ができたからといって、人にもそれができるとは限らない。そこをわかっておくと、人をどうにかしなければと思うことがなくてラクになれるかも。

まだまだ言いたいことが言えないことも多々あるけど、昔がんじがらめになっていた生きづらさは、今は画期的に払拭されている。

それがどう活かせてきてるかは、また別の記事に。

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