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家族がいないからわかったこと

私には、家族がいない。

どれくらいいないかっていうと、日ごろ仕事以外で人から連絡がきたり、話しかけられることがない、くらい。

以前は、これが本当につらくて悲しかった。

配偶者もいなければ、子供もいないし、実家もない。正確には実家は存在しているけれど、巻き込まれるのが嫌でもう連絡をとっていない。どうしても必要なとき、弁護士さんを介して連絡してもらったことがある、くらい。

在英の日本人はみな、こちらでは孤独とはいえ、日本に家族がいる。毎週だか毎日だか、LINEとかで連絡をとっているだろう。毎年、一年おき、日本に行く。イギリス人と結婚していて義理の家族の愚痴を言ってる人たちだって、なにかあったら日本に頼れる家族がいる。

私には、それが一切ない。パンデミックでイギリスが感染爆発の末ロックダウンになったときでさえ、誰からも心配の連絡が来なかった。私が無事かどうか、この地球上に気にする人は一人もいない。会社や医者に提出する緊急連絡先にも、誰も書く人がいない。ない、ない、ない。

これが本当に怖くてつらくて悲しくて、何度もやけになった。そして、

「生まれたときから親がいなくて施設で育った人だっているよ」
「年取って親がもう亡くなってしまっている人だっているよ」
「私だって孤独だよ、家族がいようといまいと関係ないよ」

と、家族がいる人たちから言われるたびに、頭に血が上るのをおさえこんで、ほんとにそうだねとにっこり笑い、どうにか生きてきた。それは、今でもそんなに変わってないかもしれないけども。

ただ、家族がいないからこそわかったことがある。

それは、人のありがたみ。自分が受け入れられていることの、奇跡。人生は、奇跡の綱渡り。

ああそうだよね、ありがたいよね、くらいに思うかもしれない。家族や友達と生きてる人は、当たり前すぎるから。

たとえば、週末お天気よかったけどどうでした?と、同僚が何気なくかけてくれる言葉。
たとえば、数年ぶりに会ったのに、なんの違和感もなくご飯してくれる友達。
たとえば、つらかったときにおかゆ作ってきてくれた友達。
たとえば、どうしょもない私のチャットにつきあって、反応してくれる同僚。
たとえば、元クライアントなのに親交が続いて、遊びに行けば家族でよろこんで迎えてくれる元カウンセラー。
たとえば、個人的な相談をしたときに、怖い顔して「それは絶対払うな」と言ってくれる上司。

たとえば、SNSでコメントや連絡をくれる人たち。
たとえば、日本の銀行書類の宛先になってくれている従姉妹。
たとえば、歯医者で麻酔を打つときに、緊急連絡先になってくれた同僚。
たとえば、休みの日に電話に出て、初心者の私にプロセスを何度も説明してくれる不動産屋さん。
たとえば、元夫の家を出る際に、家の保証人にサインしてくれた(日本と違ってサインだけだけど)、元上司。

家族がいたら、誰にもなにも頼まなくて生きていけてた。でもいなかったから、なんでもかんでも誰かにお願いしなきゃならなかった。

顔が広くて、いろんな人になんでもやってもらって生きてる人もいると思う。そういうの得意な人、本当にうらやましい。私はいつだって、こんなお願いして大丈夫か、気を悪くしないか、失礼にならないか、代わりに自分ができることはないのか、悩みに悩んで、どうしてもしょうがないときに最終手段としてお願いしてきた。ほんとに心苦しくて、しかたがなかった。

でもみんな、助けてくれた。家の保証人をお願いするのにこわごわ呼び出した上司は、「なんだそんなこと。。。びっくりさせないでよ、辞めたいとか言うのかと思ったよ」と笑ってサインしてくれた。

助けてくれた人ばかりじゃないよ、面倒事はごめんと言ってくる人もいた。そりゃそうだよね、自分でどうにかしないとな、と食いしばってこらえた。でもそういう人は蓋を開けてみたら、周りから嫌われてる人だったりした。助けてくれた人の方が断然多かった。

普通に家族と生きてたら、こんなに身近なことで不安と恐怖を抱えなくてもよかっただろうけど、こんなに身近なことで涙が出るほど大きな感謝を感じることもなかったと思う。

私が自我2位なのは、ここにある。人の何気ない言動に感謝を感じるから。その人のSignificantなところがよく見える。それを日の下にさらしたくなる。なぜって、涙が出るほどありがたいから。その人が、そうであることが。

家族がいる人、いない人、どっちも恵まれてるのかも。

言い切るにはまだ時間がかかるのかもしれないけど。最近、そこに気づいた。

人生ってありがたい。

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