2024年のまとめから、その2と3の間。
1.周りを受容
2.先祖を受容
3.親を受容
4.自分を受容
5.自分の中の心と頭を受容
6.やりたいことが出てくる

先祖から大事にされていたことに気づいてから、毎日のように感謝で涙が出てくる日々を過ごしていて、さらにまた大きな変化がやってきた。
普通に買い物に行った帰り道。「一人でなんでもできるってありがたい」と思って、また涙が出てきたのだ。
それまで長年、実家も配偶者も子供もいない孤独な自分が、かなしくてかなしくてしょうがなかった。普段、ポジティブに生きてるときは、平気だったりしてたけれど、パンデミックになっても無事かどうかの連絡も誰からも来なかったときは、改めて孤独を体感して絶望したりしていた。
よくいるよね、「私も孤独だよ」とか言う人。それでも実家とやり取りしてるし、配偶者や子供がいる。「子供なんて育ってしまったら他人だよ」とか言っちゃって。でも連絡は取っている。会社や医者から聞かれる緊急連絡先欄を埋められる人たち。それのどこが孤独??と思う。
心理的に孤独なんだろうなということは、わかる。私は彼ら彼女らの「孤独」を察してあげることはできる。「カウンセリングで向き合えば?」とは言わず、「そっかー、家族がいても同じかー」と言ってあげられる。でも、逆はない。私は誰にもわかってもらえない物理的な孤独を抱えつつ、カウンセリングで心理的な孤独に取り組みながら、今日も生きている。
世の中には、生まれたときから親がいなかった人や、保護施設からも離れて一人で生きているひとだって当然いることは知っているけども。私は今まで自分より「孤独」な人には、会ったことがない。
この孤独はどうやったら解決していけるのだろう?と思っていた。友達よりパートナーより、家族がほしかった。普段なんもなくても、なにかあったときに連絡を取り合う家族。元気にしてるか、気になる家族。そういう家族がしぬほど欲しい。
欲しい気持ちには変わりはないけど、悲観する一方でもないと思えるできごとが起こったのだ。
別になにかあったわけでもない、本当に、ただ買い物の帰り道。私はほんとになんでも全部一人でやらなきゃいけないんだなと思っていたところで、ふと、「全部一人でできるってありがたいな」と思ったのだ。
買い物も、一人でできる。
自分で歩いて、買い物に行ける。
誰にも世話にならずに、生活できている。
たったそれだけのことが、心底、ありがたいなと思えたのだ。

それができてから、今度は、不安を感謝に変換できるようになっていった。
将来が、不安である
どうなるか、わからない
でも、ということは、今は全部うまくいっている
ここから、今への感謝であふれて、また涙する日々。
将来、どうなるかわからない。今は一人で全部できてやっていけてるけど、明日はどうなるかわからない。病気になるかもしれないし、怪我をして動けなくなるかもしれない。
そう考えたら、今すべて全部できていることが、本当にありがたくてありがたくて、しかたがなくなった。
心臓が、生まれてからずっと40年以上も、少しも休まずちゃんと動いてる。心臓の働きなんて、ちょっとなんかあったらすぐしぬ。イギリスの交通機関も、仕事で使ってるパソコンだって、予測不可能な不調はつきもの。そんなことが一切なく、ずっと数秒の狂いもなく、ずっと動き続けてる。こんな奇跡って。
将来への不安って、今への感謝に変換できるのか。。。。
そう気づいたら、すべてへの感謝で涙が止まらなくなった。シェアハウスで不便なところがあろうと、家族がいなかろうと、同年代の他の人より出世が遅れていようとも。今生活できていること、今十分にやっていけてること、今生きていられていること。それが心底ありがたくてしょうがなくなった。
このころは本当にもう、毎日のすべてのことが感謝で感謝で、涙が止まらなかった。こんな状態で、自分は生きていけるのだろうかと思うくらい。毎日がOverwhelmingで、いいことなんだけど、なんかもう助けてくれって感じだった。もうちょっと、少しずつ、来てほしいなって。
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